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ネット&読書探索の遍歴
by kaursh
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渡辺恒雄と高史明との関係って……『渡邊恒雄メディアと権力』の続き
まあ、これはよく知られたことでもあり、渡辺オーナー自身が率直に公言していることなのだが、東京大学に入って、渡辺は共産党の学生グループのリーダーになった。だが、下の学年に入ってきた学生によって、すぐにその基盤が揺るがされて、離党。その後は大学側に立って、共産党のグループを弾圧するためにいろいろと活躍したらしい。

a0024788_1284262.jpg昭和27年の春、記者になってから、奥多摩の山地に隠れていた共産党のグループを一人で取材しに行って、そこで拘束されてかなり危ないことになったらしい。だが、そのグループのリーダーだったのが高史明(1932-)――在日朝鮮人二世として自分の生まれ育つまでを描いた『生きることの意味』の作者だ。そういえば、高史明は先日、NHK人間講座に出演して、一人息子の自殺と親鸞の『歎異抄』との出会いを語っていた。この高史明は以前はずっと粗暴だったが、このときは仲間を押し留めて、渡辺殺害をやめるようにと説得した。このことが原因で、後に高史明は活動を離れることになる。

渡辺は命からがらその場を立ち去って、新宿のションベン横丁「ガツ屋」で待っていた(日テレの社長となる)氏家と会ってそのときの出来事を語ったらしい。このことは社会面の記事としてスクープとなったが、読売ウィークリーの記者だった「渡邊恒雄」という名前の掲載は拒否され、社会部に同名の渡辺という人がいたことから、「本社渡辺記者」として社会部の功績とした。このことで、渡辺はかなり怒ったといわれている。
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        by kaursh | 2004-07-20 18:18 | ノンフィクション
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